暇の結晶

趣味や日常生活について日記のような形で淡々と。

授業、そして追悼

こんばんは(現地時間)

昨日から京大での授業が始まりました。まだガイダンスが多いのですが、教養科目はどれも面白くて大学生活楽しい!という感じです。地理をとりたくてシラバスを眺めたところ、京大には地理の授業がたくさんあって人文地理>自然地理>地域地理の順でとりたい気持ちが強かったのですが、必修科目との兼ね合いで地域地理しかとることができず、はじめは憂鬱...。と思っていました。実際に授業を受けてみると、面白い!

板書はないのですが先生が生徒に質問してその答えをどんどん膨らませていく、という感じで教授の学問に対する専門性を強く感じることができました。今後の授業がどのように展開されていくのかとても楽しみです。

 

そして最初の休み時間。訃報が飛び込んできました。授業を終えてtwitterを開くと、訃報の二文字。信じられず、動揺してしまい、しばらく席を立ち上がることができませんでした。wowakaさん。ボカロの一時代を築き上げ、現在のボカロの土台を固めた存在です。31歳。まだまだこれからだという時期に、僕自身悔しい気持ちでいっぱいです。授業がすべて終わった後はいろんな人の追悼メッセージを読みました。ボカロファンにとってwowakaさんは青春の大部分を占めているのでしょう。思春期のみんなが夢中になって聞きまくった曲の数々。それらが現在の僕の人格を作り上げたといっても過言ではありません。TLに流れるツイートを見てもみんな同じ気持ちなのだとわかりました。wowakaさん。本当にありがとう。ヒトリエとしての活動はどれくらい続いたのでしょうか。僕はここ一年受験勉強に取り組んでおり、ヒトリエの活動をあまり知らないままに終わってしまいました。ライブに行きたい。ずっとそう思っていました。とても後悔しています。もうこんな思いはしたくないです。もちろんアーティストの皆さんが末永く元気に活動してくれることが第一ですが、まさか、ということが起こりえます。何か前兆があるかもしれないし、今回のようにほんとうに突然、ということもあるかもしれません。(もしかしたら今回も何かしらの前兆があったかもしれませんが。)アーティストを応援することは自己満足ではありますが、ファンが一緒に成長していくことができることは同年代の人たちにとってお互いに心の支えになると思います。よく俺が育てたみたいな言い方に対する批判を目にしますが、何が悪い。と思います。自分の中で大事に温めてきた好きだという気持ちは自分の支えになっているのです。アーティストの活躍が自分の心の支えになっているのです。それはどれだけの時間ファンだったかに関係なく、他の人とは違う、自分だけのかけがえのない存在です。それは私がずっと応援してきてここまで来たのだ、と自信を持っていうべきです。だらだらとまとまりもなく書いてしまいましたが、僕にとってボカロPとはこういう存在です。僕がボカロに熱中してのは高校生になってからで、実際はwowakaさんの曲は聴いたことがある程度にしか知りませでした。でも、訃報を聞いたあとニコニコでwowakaさんの曲を聴くと自然と涙がこみ上げてきました。こういう状況だから歌詞もゆがんで聞こえてしまうのかもしれない。でも、今まで聞いていた印象とは全く異なるものになりました。wowakaさんというボカロPはこの日、新たに僕の中の大部分を占める人となりました。ありがとうございました。